「まんが日本昔ばなし」の語り手、常田富士男さん死去 81歳
TBS系「まんが日本昔ばなし」の、「むか~し、むかしの、ことじゃったぁ」の語り手で有名な俳優の常田富士男さんが2018年7月18日に脳内出血のため亡くなっていたことが19日、分かった。
81歳。
常田さんはアニメ「まんが日本昔ばなし」で、市原悦子さんとのコンビで語り手を担当していた。
常田さんは高校卒業後に劇団民藝の養成所に入所。黒澤明監督の「天国と地獄」「赤ひげ」に出演。その後も大河ドラマ「国盗り物語」「黄金の日々」や、映画「楢山節考」「ビルマの竪琴」「黒い雨」などにも出演し、味のある深い演技で印象を残した。
アニメの吹き替えやナレーションでも独特の存在感を放ち、特に1975年から94年まで放送されたとの優しい語り口で、数多くの昔話をお茶の間に届けた。またジブリ作品の「天空の城ラピュタ」では、ポムじい役で、出演している。
2時間枠のサスペンスドラマ(土曜ワイド劇場)でもよく見かけましたね。
アニメ「まんが日本昔ばなし」といえば土曜日の19:00 - 19:30の時間帯に放送されていた。
当時私は5歳。この時間帯では「まんが日本昔ばなし」の前に「仮面ライダー ストロンガー」が放送されていた。
「仮面ライダー ストロンガー」は39話で最終回になり、次回からはアニメ「まんが日本昔ばなし」を放送いたしますとの告知があった。
「仮面ライダー ストロンガー」が大好きだった私は
「まんが日本昔ばなし?なんだそれつまんね~」
とケチをつけていたのを覚えている。の「仮面ライダー ストロンガー」ファンの少年たちは同じことを思っていたのではないか?
が、「まんが日本昔ばなし」が予想を超えて面白かった。
♪ぼぅお~や~~~~、良い子だねんねしな~~~~~♪
のオープニングで龍に乗る男の子の構図でまずは少年たちの度肝を抜いた。
1975年(昭和50年)1月に開始から1994年(平成6年)3月26日をもってゴールデン帯での全国ネット枠放映終了まで実に20年近くの長寿番組になったのもうなずける。
調べたところ、実は「仮面ライダー ストロンガー」は3月まで放送予定だったが、初回視聴率が振るわなかった上に数字は下降を続け1クール早めの1975年(昭和50年)12月27日に最終回を迎えたとのこと。
おそらく早々に終わらせる為に内容的にもかなり尻切れトンボ的に強引に最終回まで話を持って行ったのではないだろうか?
思ったより急に終わって、次回からアニメ「まんが日本昔ばなし」を放送いたしますなんだそりゃ状態だったのではないだろうか?
アニメ「まんが日本昔ばなし」なんてつまらんもんは見ね~と子供心に思っていたが、予想外に面白かったので結局アニメ「まんが日本昔ばなし」やっぱ観ちゃったよね。
アニメ「まんが日本昔ばなし」で一番印象に残った話は、「山んばの嫁さん」の話。
当時オンタイムで観たか再放送で観たかは覚えていないが、話の内容がインパクトがありすぎて今でも忘れることができない。
放送日:1977年08月20日(昭和52年08月20日)だそうだ。
なんと「まんが日本昔ばなし」のデータベースなるものを発見。
コチラで詳しい話がわかる。
簡単に内容を話すと、
ある男の家に、急に山姥がやってきて嫁にしてくれと言う。男は断るのが怖くて山姥を嫁にしてしまう。
が、その日から男の家の米の減る量が異様に多くなる。 不思議に思った男が、家の中の様子を伺っていると、山姥の嫁さんが大量の米を炊いて頭ほどの大きさもある大きなおにぎりを いくつも作ると、それらを全部たいらげてしまった。
その様子を見て怖くなった男は、山姥の隙を見て甑から抜け出す事に成功。男が逃げたことに気がついた山姥は、怒りながら戻る。男は山姥が戻ってきたのであわてて木の上へ逃げた。
それを見た山姥はおもむろに乳を取り出し、それを木の幹にぶつけ始めた。山姥の乳の力はものすごく、木全体を揺らしながら幹をえぐっていく。男は必死で「乳は切れても、木は切れない。乳は切れても、木は切れない」と何度も念仏のように唱えると、山姥の乳がバアァンとちぎれて吹っ飛んだ。 山姥は「痛いよー」と泣き叫びながら山へと帰っていった。
(引用/まんが日本昔ばなし大辞典)
赤字の部分が特に記憶に残るシーンだ。乳を左右に揺らしながら木を切ろうとする山姥と、呪文の様に「乳は切れても、木は切れない。乳は切れても、木は切れない」と唱え続ける男の対比、ちぎれて飛んでいく山姥の乳。
インパクトあり過ぎて観ていて大笑いした覚えがある。
「まんが日本昔ばなし」は最近でも再放送していますね。
しかもハイビジョンテレシネしたリマスター映像と制作時のクリアな音声で放送なので16:9サイズで楽しめる。
常田富士男さんはのような素敵な語り手は2人といないだろうなあ。素敵な思い出の数々をありがとうございました。